期待

昨今はこんな状況ですが、幸運にもこの劇作に携わることができました。今年はこれまで、もうかなり暇で暇でどうしようもなかったので、その分のやる気?のようなものを吐き出す機会だったのかもしれません。ともかく、他の人とあれこれやって一つの作品をうまく作っていくのは楽しかったです。

で、肝心の内容はどうかということなんですが、目の前で(画面の向こうで)起こったこと、しかしとても現実には起こりえないようなこと、数多の言葉のつながりの意味、こおろぎの鳴き声、声なき会話、などなど、印象に残ることや想像したくなることが詰め込まれた劇だと感じました。この30分はきっと長くもあり、短くもあるのだと思います。映像配信という形では、やはり生の役者を見るのとは違って感じられると思いますが、今回に関して言えば、映像でしか見られないものが見られるような気がしています。

小並感

今回は、私にとって初めてのプロデュース劇団への参加でした。まあ大層な活躍はしていないし、実際に活動していた時間はごく短いものでしたが。それでもあえて感想を述べるなら、楽しかったです。仕込みやバラシも、普段と比べて適度にリラックスした状態で臨むことができました。タスクが少なめだったからというのはあるにせよ、雰囲気がなんとなく肌に合っていたような気がします。
小学生並みの感想ですけど、難しい情勢の中でも演劇をやる意義を感じられたということなので、これは書き残してしかるべきことだと思っています。「跳ぶ蛙のかたち」はまだ続くようなので、次の機会にも声をかけてもらえるとしたら是非参加したいと思います。その時までに、小学生からせめて中学生ぐらいに成長できているといいんですが。

 

北村 章吾

儚い

自分はまだ演劇の楽しさを知らないのだと思っていました。これからきっと演劇が楽しくなるんだろうなぁという予感だけは感じていました。それからもう半年。早いものです。


思考を止めるのは難しいもので、この半年は結局毎日演劇のことを考えていました。いつの間にか演劇というものに吸い込まれていたようです。儚いものをいかにして守るのか、自分に守れるのか、守ろうとする気持ちが正しいのか、自問自答の中で今回の座組参加の話をいただきました。演劇に飢えた作演出と演劇に飢えた役者です。自分が演劇において一歩前進できる気がして参加しました。


彼らのエネルギーはスマホを介してさえも伝わってきました。久々に他人の情熱というものを感じ取れた気がします。最近はスマホの通信速度も遅くなってしまったほどです。だから、きっと面白いものになります。


少しの間、現実の時の流れの外へ、ここではない何処かへ連れて行ってくれる、そんな作品です。


舞台

思うこと

小学生の時、一年中ずっと半ズボンで生活していました。寒い冬の日でも、上はヒートテックとかジャンパーとか着てたんですけど、下は半ズボン。脛はひび割れていて、しかもよく転ぶので傷だらけでした。


なんでこんなことしてたんだろう。今となってはほとんど覚えていません。なんとなく察するに、プライドがあったんだと思います。時間が経ってから考えると下らないけど、当時の僕の価値観では、そこに意味を見出していたんでしょう。

 


こんなことを何回目かの通しを観ながら、ふと考えていました。